一般社団法人  雲雀丘安田邸プロジェクト
Association of Project for Yasuda Residence in Hibarigaoka

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大阪船場北浜の淡路屋

大大阪時代の大阪船場・北浜 ー 北浜の淡路屋

大大阪時代(1910年代後半〜1930年代前半)の大阪船場・北浜は、金融・商業・文化が交差する日本屈指の都市空間でした。北浜は「東洋のウォール街」とも呼ばれ、船場は大阪商人の魂が息づく経済の中心地でした。

大大阪時代とは?
• 時期:大正末期〜昭和初期(1920〜1935年頃)

• 背景:大阪市が東京市を凌ぐ人口・経済規模を誇り、「大大阪」と呼ばれた黄金期
• 特徴:都市インフラの整備、近代建築の建設、文化・芸術の隆盛

 北浜:金融の器
• 江戸期から続く米市場・金相場会所が発展し、明治期に大阪株式取引所が設立(1878年)
• 大正〜昭和初期には証券会社・銀行が集中し、「東洋のウォール街」と称される
• 土佐堀川沿いには料亭や旅館が並び、船場の旦那衆が小船で乗り寄せる粋な文化が栄えた
船場:商人文化の器
• 繊維・薬種・雑貨などの卸問屋街として発展
• 淀屋橋・道修町・丼池筋などに、商家・蔵・町屋が並ぶ
• 近代建築の宝庫:綿業会館、生駒ビルヂング、芝川ビルなどが現存
知の器:適塾と蘭学
• 緒方洪庵が開いた蘭学塾「適塾」が北浜に現存
• 福沢諭吉ら近代日本を支えた人材を輩出

今回は北浜の淡路屋に焦点を当てます。

大大坂時代の大阪船場北浜

大阪北浜

明治中期の北浜界隈については、宮本又次氏編の「歴史散歩」に「難波橋南詰堺筋の東側、浜筋に昔は金相場会所があって金銀の相場がたった。この会所の跡に株式取引所が明治11年に出来た」とあります。「昔はこの付近には金銀売買の両替屋が多かったが、その中から証券屋に転身した者も少なくない」と紹介されています。
商業資料(永江為政氏著編)の第2巻第十号(285頁)によると、「明治の中頃の北浜の項に、北浜は二筋あって、

淡路屋