当法人は、宝塚市雲雀丘地区に残る宝塚市景観形成建築物である旧安田邸の保存・活用等を図る事により、地域の発展に寄与する事を目的として、2024年4月30日に設立登記されました。
This association was established on April 30,2024 with the purpose of contributing to the development of the region by preserving and utilizing the former Yasuda residence,which remains in the Hibarigaoka district of Takarazuka city and is a building that formes the landscape of Takarazuka City.registered.
私たちのMisson➽安田邸は再建活用に目途がつき次のステージに進んでいます。宝塚市と事業予定者と協議を進め再生・活用に具体的に動いています。歴史の継承に参加して頂ける会員・寄附者を募集しています。
15年前に宝塚市に遺贈され、地域が取り組んだ「安田邸の保存・活用の最終章を皆が幸せな形で終われる様に チャレンジする事です。歴史を紐解き建物を調査するにつれ再評価が進み、年央の再生着工に向けて、3月17日宝塚市による11年ぶりの樹木の伐採・剪定も済みました。お越し下さい。104年前の姿が身近にご覧になれます。あの頃のモダニズムです。
かつての「雲雀丘地区の宝物だった和洋館」が(本来は再生・利用されている筈なのに)15年後の今は「お化け屋敷」とまで言われ昨年に入り「立入禁止」の掲示もされ取り壊されるのを待つばかりになっていました。
時間切れと思いつつも「受贈者によって取り壊される」不本意な終り方は「雲雀丘地区の住民」として恥ずかしく「何とかしたい」と考えました。
➽「地域も諦めていて100%無理」と言われましたが、「宝塚市による取り壊し決定」回避に間一髪間に合って、「安田邸を再生する3億円を拠出頂ける事業者様からの意向表明書の提出」も完了、2024年9月27日の宝塚市議会での山崎晴恵市長のご発言にある様に、安田邸再生計画は宝塚市との協議に入り、地域の市民も多数参加して再生活用に向け活動しています。
➽過去の尽力は実らず結果として15年間の不作為状態で染みついた「荒れ果てた安田邸の印象」を変えるのは容易ではありませんでした。10ヶ月の、ホームページ・講演会・茶話会・会員による景観形成1866戸への個別訪問・チラシ配り 等地道な活動が実り、雲雀丘地区を中心に理解も深まり、「今回は実現しそう」の声も大きくなり負の遺産は克服出来ました。具体的な事は3月29日㈯に宝塚市企画経営部と共に開催する「工程報告会」でお話しさせて頂きます。歴史的資料も用意してお待ちしております。
ここ迄は過去の経緯・事実をお話ししました。蒸し返しは無用です。
ここからは「これからのお話」です。明日に向かって歩き出しました。
ここからは、事業者様に全てお願いするのではなく、宝塚市・事業者様・地域一体となっての「再生活用の具体的な知恵と実行力」が問われます。宝塚市と進めますが、人任せにしない覚悟が問われる局面に入ります。
「再開発」で無機質な建築物:ビル・マンションが増えて行く今の時代、大阪梅田からの阪急電車急行で24分、駅を降りたら104年前の大大阪時代(だい大阪と読みます:東洋のマンチェスターと呼ばれ、人口も東京市を上回り世界で6番目に大きい都市でした)を彷彿させる大正浪漫溢れる「可愛い洋館が佇んでいる街並み」に会えたら素敵だと思われませんか?
100年以上前に三井物産社員として、後に紐育芝川株式会社の社長として米国で活躍した米国駐在時学び自ら設計した、「クイーンアン様式では我が国最古の木造建築」とされるその時代の理想を映した和洋館とお庭で、映像挙式撮影・コンサート・104年前の暖炉を囲みながらの読書会多様な活用を予定しています。安田辰治郎邸を起点に雲雀丘地区の複数のお屋敷を回遊出来ます。大正浪漫に浸りながら名前の由来となった「雲雀滝」で涼んだり、阪神間モダニズムを体現した雄大な大坂平野の眺望を楽しみながら古典音楽に親しむ等穏やかに多彩に経験して頂く事を考えています。
全国・世界の賛同頂ける皆様、電鉄経営の礎:田園調布の原型となったと言われる宝塚市雲雀丘地区の景観の要に位置する安田邸を再生・活用して次世代に引継ぐ為、お力をお貸し下さい。安田邸は再生・活用されます。
昨年迄は、「一人の無名な会社員が、自分の趣味で作った家」で歴史的価は無いと思われて来ましたが、建築史学的に緻密に検証すると、お金持ちの素人故にその時代の様式を正直に表した唯一無二の建物であり(不幸な事に関東大震災で同様の木造建築は現存せず)貴重な事が確認出来ました。加えて安田辰治郎は大正時代に三井物産の社員・紐育芝川株式会社社長としてニューヨークに通算7年滞在し、Japan Societyの会員として往時は250人を擁した在米子会社のトップとして繊維の貿易等に従事した最先端のビジネスマンであり、阪急グループの創始者:小林一三氏との関りも伺えます。日本の産業史にとって貴重な事案と思料します。その時代があって今の日本があります。地域から世界へ、次世代に引継ましょう!
PFROJECTの完成は2年以上先ですが、グローバル企業様からは「万博滞在時訪問させたい」「在外役員の関西滞在のEXCURSIONで訪問したい」、雲雀丘地区の方々からは「駅前の安田邸で寛げるなんて夢みたい」「広いお庭でまったりした時間を過ごしたい」お声も多数届いています。
どうぞ宜しくお願い致します。
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